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スラミィ、その静かな「事件」
2026年3月スクウェア・エニックスはドラゴンクエストXオンラインにGoogleの生成AIモデルGeminiを活用した対話型AIバディ「おしゃべりスラミィ」を導入すると発表した。クローズドベータでは「かわいい」「面白さはある」といった好意的な感想も多く見られた。
一方で発表直後から一部のプレイヤーは強く反発した。「AIなんて導入するな」「回答が的外れ」そうした声もあった。もちろん何にどう反対するかは個人の自由だ。
「引退した」という話は聞くのに、実在が確認できない
スラミィ実装の発表後「フレンドが反AIを理由に引退した」という話をSNSで見かけたことがある。しかしその「引退したフレンド」が実在する人物なのか、確認する術がない。伝聞の伝聞のような形でしか語られていない。
少なくとも「スラミィが実装されるからドラクエ10をやめます」と宣言し、実際にやめた人を見つけられなかった。「もう買わない」「引退する」という言葉自体は大量にあるのに、それを実行に移した証拠だけが綺麗に存在しない。これはけっこう不自然なことだと思う。
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もう一つのわかりやすい構図
似たような構図はドラクエ10に限った話ではない。反AIを公言し「生成AIが使われているゲームはプレイしない」とはっきり表明していた人がいた。ところが生成AIを使っているゲームの大型案件があり、それに出演していた。
当然、この件を知った人たちの間では困惑の声が広がっていた。誰しも思想としてどれだけ強く掲げていても、自分に十分なメリットが提示された瞬間、それを貫くのは簡単ではないのかもしれない。
反AIという思想は、その程度のものなのかもしれない
ここから導かれる仮説はシンプルだ。
反AI思想の多くは「自分にとってコストがほとんどかからない場面」でだけ表明される態度なのではないか。SNSで「AIなんていらない」と書き込むことにコストはほぼゼロだ。しかし10年遊んできたゲームを実際にやめる、大型案件のオファーを実際に断る、というのは話が違う。そこには本物の代償が発生する。
思想と呼べるほど強固なものであれば多少の代償を払ってでも一貫した行動を取るはずだ。しかし実際に見えてくるのは「言葉にするコストはゼロ、だから強く主張できる。行動に移すコストは高い、だから主張どおりには動かない」というきわめて打算的な構造だ。これは思想というより、単なる「気分」や「ノリ」に近い。一貫した行動には必ず代償が伴う。その代償を払ってでも思想を貫ける人は、実はそう多くない。
人間は誰しもコストなしで言える「理想や思想」より、実際に自分が失う「リアルな繋がりや思い出」を優先する。彼らが引退しないのは、反AIという言葉以上に、ドラクエ10の世界で過ごしてきた時間の価値の方が勝っているからだ。それは皮肉にも、作品への愛着の裏返しなのかもしれない。
